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記事タイトル : | 日本からニーハオ!----株式会社アルバックスの代表取締役呂娟さん |
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掲載媒体 : | 人民網日本語版 |
掲載日付 : | 2009年8月21日 |
掲載場所 : | 人民網日本語版 |
関連サイト : | 人民網日本語版 |
呂娟略歴:株式会社アルバックスの代表取締役、北京東方飛羽国際文化有限公司董事長、日本中華書画芸術研究院理事長、日中文化交流センター理事長、世界華商大会中国書画芸術逸品展示会執行主席、、、
優雅でおしゃれな呂娟さんを見た瞬間、上述の様々な肩書きがイメージと一致しにくかった。呂娟さんには、想像していた女傑のような迫力はなく、明るく自信
にあふれ、頭が良く、てきぱきしている。もしかしたら、男社会の国で在日華人企業家として成功できたのは、この頭のよさゆえなのかもしれない。
――もともと医学を学ばれたそうですが、学業をあきらめて日本に来たのはなぜですか?
小さい頃から外交官になりたいと思っていましたが、両親の希望で医学を学び始めました。しかし病院で9カ月実習した後、この職業が私に合わないと感じたん
です。その後、外交官の夢をかなえるため、国外に出てみようと決心しました。当時米国と日本のビザが取れたんですが、日本のビザが先に取れたので、運命を
信じて、日本に行く運命なのだと思って来たんです。
――来日当初は、なぜ派遣会社という仕事を選ばれたのですか?
日本で勉強する中で、アルバイトの合間に日本の労働力の現状を知りました。当時の労働力資源は極めて欠乏しており、高齢化・少子化という社会構造から、日
本には仕事のチャンスがたくさんあったのです。一方中国の労働力市場は過剰の状態で、多くの労働者が仕事を見つけられず、仕事があったとしても収入がとて
も少なかった。もし中国の労働力を日本につれてこられれば、日本のニーズも満たせるし、中国人の就職プレッシャーも緩和できます。これは一挙両得だと思い
ました。そこで1995年に大学を卒業した後、自分で人事派遣会社を立ち上げました。卒業したその日に社長になったのです。
――現在の事業の中心は文化産業方面に移っているようですが、これはどのようなきっかけですか?
まず私は本がとても好きなんです。様々な本を読みますが、特に老子、孟子、孔子など、中国の伝統文化の書籍は、そこから栄養を汲み取り、知識を増やすこと
ができます。中国と日本を往復するたび、私は2冊の本を持っていきます。行きに1冊、帰りにもう1冊。本を読むスピードがとても速く、たくさんメモを取り
ます。本の中の重要な部分を書き取るんです。
それから、私は中国をとても愛しており、環境保護の映画「鶴郷情」に投資したり、世界華商大会書画展を開催したりして、中国の絵画芸術、舞踏芸術、無形文
化遺産などを日本に伝えています。このことで、大使館、中国文化部、中国文連などの部門からはたびたび支援・表彰を受けています。商売を行うにしても「儒
商(教養のある経営者)」になりたいと思うのです。事業の中で私の文化的理想をかなえ、中国文化を広めていきたいです。文化理念と愛国心を結合することが
できれば、とてもうれしいですね。
中日関係の変化は、とても大きな概念です。まず、中日関係を見てきた、ということで言えば、中国の「改革開放」を歴史の分割ポイントとして、日本にいる中
国人を古い華僑と新しい華僑に分けることができます。「戦前」「戦後」から中国の「改革開放」前夜まで、戦争と祖国の貧困のため、日本で暮らす古い華僑は
経済的地位も社会的地位もなく苦しい生活をしていました。この時期、「3つの刀(はさみ、かみそり、包丁)」を使う職業で主に生計を立てていた古い華僑た
ちは、この小さな島国の欲望が膨らみ、戦争を起こすのを見てきました。過激なメディアにより華人が「中国人と犬」とさげすまれる悲しい場面を目撃してきま
した。
しかし、古い華僑たちはまた、苦難の時に、平和を望む日本の一般市民から助けを得ており、日本の一般市民が中国の人々と同じように平和を望み、戦争に反対していることを身をもって経験してきました。
このようにして、日本の一般市民らの友好的手助けと、「3つの刀」に頼った生活の中で古い華僑たちは少しずつ自身の経済的・社会的地位を固め、日本という、熟知しながらも良く知らない土地に平和を尊ぶ中国人の理念を広めたのです。
中国の「改革開放」後、古い華僑の数世代にわたる努力により、在日中国人は「3つの刀」により生計を立てる時代に少しずつ別れを告げ、自分の家、工場、企
業、商業会議所を持ち始めました。そして、強い経済力と社会的地位の高まりに従い、「日本新華僑時代」に突入したのです。
現在、日本で生活する新華僑は、古い華僑たちの苦しみながら創業した精神を受け継いだだけでなく、さらに高い学歴と素質をもち、中日関係の最前線に立って
中日交流を促進し、祖国の文化を広める強い能力を持っています。時代という点から言うと、古い華僑は近現代の中日関係における起伏を見、日本華人社会の悲
喜と栄辱を見てきました。新しい華僑たちは祖国の「改革開放」という春風に吹かれながら、「経済グローバル化、世界政治多極化」という流れの中で、中日民
間交流に参加し、促進する才能を鍛えてきました。
30歳から40歳までの在日華人にとって、現代の日本の変化のイメージは、主に森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎など、歴代首相の政権の
イメージと重なります。もしかしたら森元首相やその前の数代の首相および、その方針は少しずつ忘れつつあるかもしれません。その原因は、当時中日関係が
「国交正常化」初期の過渡期にあり、あのころの中日両国はともに経済の発展に努めており、とくに日本は経済大国と先進国という目標の実現に向けて「大躍
進」式の発展を行い、よくなったばかりの中日関係を壊す暇もなかったからです。
不愉快な歴史と、小泉純一郎による「参拝」で、両国関係は前進ができなくなりましたが、安倍首相就任後は、時機と情勢を見計らい、友好・交流を望む両国の
人々の声に応えて中国を訪問。小泉純一郎の参拝以来、中日関係が「破氷」しました。この後、温家宝総理の訪日で「融氷の旅」となり、福田康夫首相の訪中
「迎春の旅」となり、胡錦濤国家主席の日本訪問「暖春の旅」で、谷間にあった中日関係が遂に春を迎えました。これに続き、日本中華年、中日観光交流年、中
日青少年友好交流年など政府級の大型交流活動が始まり、中日両国が長年誤解をしていた兄弟のように、共に杯を掲げ、集まる仲にもどったのです。
日本で約20年間過ごした私は、中日関係の谷底を体験し、両国の人々の交流への期待を見てきました。「破氷」「融氷」「迎春」「暖春」の4つの歴史的な足跡がもたらした喜びを分かち合い、また温家宝総理と胡錦濤国家主席とお目にかかることもできました。
――現在中日間にはどのような差がありますか?
1990年に日本に来た当時、日本の整然とした社会秩序、急速な発展を見て、追いつくことが出来ないと感じました。日本社会で生活し、なおかつ良く理解し
ている人でないと、日本および日本社会に対して公正な評価を下し、今日の中日両国について科学的に比較することはできません。
中日両国にどのような差があるかですが、私は主に社会文明面、人文環境面、教育と社会分業面、将来の発展観の4点があると思います。現在の中国社会を日本と比べると、その差は相当大きいと思います。
将来の発展観についてですが、多くの中国人は両国のGDPだけで日本と比較しているようです。手段を選ばずGDPを「大げさに表示」して、発展と名声を求
めている都市もあります。しかし日本はというと、GDPなどのために空虚な発展をすることは、これまでに一度もありませんでした。彼らは戦後の着実な発展
が、自らを世界第二の経済大国に押し上げたことを知っています。1人あたりGDPは中国人の数十倍ですが、まだもくもくと発展を続けています。将来の発展
観については、中国の学者、高官、業界の人々にたくさん日本に訪れてもらいたいです。日本の発展方式は今後数十年間の参考にすることができます。
つまり、中日間の差はまだ50年ほど存在します。私たちの体制、経済方式が急速に発展し、科学的方法と理念を模索すれば、この距離は短くなると信じています。
――建国以来60年間の中国の発展についてどのように感じますか?
今年は新中国成立60周年です。短いようで長かったこの60年、私たちは貧しかった社会経済から「大躍進」式発展を経験しました。経済グローバル化の時代
の流れをつかんで改革開放を行い、WTOに加盟し、GDPも世界トップクラスへとなりました。私は60年代末期に生まれ、中国が改革開放へと移り変わるの
をちょうど経験し、数十年来の改革開放が中国社会にもたらした天地を覆さんばかりの発展を目撃しました。
特に、神船7号の有人宇宙飛行の成功は、中国の宇宙技術発展の一里塚となる重大な飛躍となり、偉大な祖国の60歳の誕生日に捧げる貴重な贈り物・祝福とな
りました。北京五輪の成功は、中華民族の100年の夢を実現しました。開閉幕式、大会組織の業務、ボランティアのサービス、競技場の設備、中国人の精神
は、世界に深く印象を残し、国際社会の高い評価を得ました。
――将来の計画を教えてください。
さらに多くの人を支援し、民族と故郷のために出来ることをしていきたいです。
海外に住み、事業を成し遂げながらも、呂娟さんは祖国に報いることを忘れていない。08年の五輪聖火リレーの際、彼女は匿名で寄付しただけでなく、自ら長
野を訪れて応援を行った。事業が軌道に乗った後は、積極的に公共事業を行い、山岳地帯の貧困児童に関心を集めるべく社会各界に呼びかけた。四川大地震が発
生したときも、彼女は災害状況に注目するよう従業員に訴え、積極的に寄付活動を行った。実力が増すとともに、呂娟さんは祖国への恩返しを実践してきた。彼
女の愛国は各界のメディアでも報道されている。(編集SN)プチアンケート
・出身地 河南省
・日本滞在暦 18年
・日本を漢字一文字で表すと 礼
・座右の銘
天は絶え間なく常に正しく運行している。 君子も同じく常に努力と勤勉さを持ち続けなければならない。
・中日友好に向けた提案 各分野での交流
・住みたい場所 北京